それぞれが迎える結婚適齢期は周りが決めることではない

私は結婚適齢期という言葉自体が嫌いです。私にとっては不要なものだと思っています。

 

まだ学生の頃は、遠い未来のこととして遠く他人事のように思えていた結婚適齢期ですが、成人を迎え、数年経てばあっという間に自分自身が結婚適齢期を迎えてしまいました。

 

お盆や正月など親族が集う場での会話は自ずと結婚に向かいます。近しい身内の中で順番として次に私が結婚するのかどうなのかといった具合にあり、そのような話題はふらっと私に降りかかってきます。その話題が初めの頃はなんだかまるで大人になったような気がして、ああ、これが結婚適齢期を迎えた人たちがよくテレビでの街頭インタビューなどで答えていることなのだなと思っていました。しかし、一年、また一年と月日を重ねるごとにそれは見えない威圧感となり、プレッシャー以外の何物にもならなくなってきました。結婚の話題が出るのだろうと思うと親族の集まりが億劫になってきたのです。

 

結婚適齢期は何も結婚だけを指すのではないのだと思っています。それは女性に対しての意味合いが特に強いのだと思うのですが、出産や育児の課題があるのではと思うようになりました。結婚は相手がいて、ある程度は親族などの承諾が得られれば成立しますが、出産や育児となれば話は別です。出産には女性側には健康な卵子の問題、男性側には健康な精子の問題があり、高齢になればなるほど女性の出産は大変になっていくと知りました。また、子育ては体力のあるうちにした方が良いというのを昔を知る人や親戚からはよく聞いていましたので、それは一理あるなとは思っています。

 

出産や育児を考慮した上でも、やはり私は結婚適齢期は好きにはなれません。あくまでも個人的な見解ではありますが、ある特定の年齢を迎えた途端に、周囲から問われる結婚はまだなのか、というフレーズに嫌気以外の何も感じられません。相手がいれば結婚している、そんなことを苛立ちを交えながら言葉にすることも疲れてしまいます。

 

子どもを産むなら早ければ早い方が良いと言われたこともあります。ですが、私は結婚はしなくてもいいけれど子どもは欲しいと思うこともありません。子どもが嫌いだということではないのですが、今はまだ自分自身の楽しさや嬉しさ、やりたいことをやるといった具合に精神的にとても未熟だと感じています。結婚適齢期というものはある程度、自分自身を犠牲にできる人が迎えるものではないかと最近になって思います。

 

人の幸せがすべて結婚に繋がっているとは考えていません。それをわがままだという人もいらっしゃるかと思いますが、私は結婚以外にも適齢期は存在していると思っています。もしも私が生きていく中でこの人となら結婚して共に生活していけると思えたなら、その時が私の結婚適齢期だと思います。

 

結婚適齢期。男性女性での違いは?結婚時期について考える。